あの日のセレナーデが今も止まないのは

ありくくん、20歳のお誕生日おめでとう!

 

成人年齢は引き上げられましたが、ハタチっていうのは今でも特別なお誕生日だと信じてやまないので、オタク、クソデカ感情が溢れてしまいます。

自分語り含む思い出などのごった煮、開始させていただきますよォ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありくくんという存在を初めて目にしたときは、くまのマスクをした細い体の、あどけない少年でした。ダンマスワールドの舞台で「現役男子高校生」としてステージに立つ、小さな背中に大きな夢を乗せて浮き足立つ、そんな純粋な気持ちが伝わってくる男の子という印象でした。

 

次にありくくんを見たのはそれから約2年後、ダンマスワールド4のステージでした。高校生から大学生になり、衣装も雰囲気もガラッと大人になっていました。私の知らないこの2年間こそ、リアルタイムでその成長過程を見れていたらどれほど楽しかったでしょう。制服で踊っていた男の子から、超大御所踊り手の激強メンバーたちの中で堂々と踊る存在になっていました。

 

どちらのダンマスワールドも、ありくくんではなく、別の出演者者目当ての参加でした。ですが流行病の猛威によって、ダンマスワールド4では本命の出演者が直前辞退となってしまいました。

 輝くステージに自分の本命がいない事実を受け入れられないままでいたあの日、それまでどこか遠くから眺めていたような気持ちだった私を惹き戻してくれたのが、ラブジェネ合格者としてステージに立つありくくんの姿でした。

 

 あの日見たステージは、言葉にすることすら野暮と感じるほどの圧巻でした。

 

ステージ上でマスクを外す演出、見た瞬間に、当時名前と顔しか知らなかった踊り手さんの “”踊り手“” としての歴史が変わるその覚悟を感じて全身鳥肌が立ち、しばらく何も考えられなくなりました。

 マスクをつけて活動すること、素顔を隠して動画を投稿するということの意味は、活動者自身のアイデンティティに関わるものだと知っていたし、それが諸刃の剣であることも。私は彼のことを何も知らないけれど、自分の経験則とステージで見せた強い瞳のことがあの一瞬で忘れられなくなりました。

 

 

 

……………てか、顔めっちゃカッコよかったな……

 

 

 

 

顔、めっちゃカッコよかったな!?!?

 

 

あの顔面が今日まで隠れていたなんて………

 

 

 

痺れるような気迫と圧倒的な演出、おまけに出てきた顔が今世紀最大級に刺さるなどして、、、、

 

完全に一目惚れでした。

 

 

本命が出られなくなって完全にいじけていた気持ちなどすっかり忘れ、ありくくんという踊り手さんがどういう人なのか調べつつ、ラブジェネ後日談を絶対に聞きたかったので帰り道でTwitterをフォローして速攻で通知を入れました。

 

夢中になって誰かのことを調べるのは久しぶりで、この情熱は恋かと錯覚するほど、その日から私の頭の中にはありくくんがすっかり居着いてしまいました。

 

幸か不幸か、流行病によって行くはずだった本命のイベントはついでにもう1個無くなっており、たまたまありくくんの出演するイベントの日と被っていたため、一目惚れをしてすぐ実物のありくくんとお話をする機会を得ました。

 

後日談ツイキャスでもなんとなく感じていましたが、本当に年下とは思えない程大人っぽい話し方をする人で、頭の回転が早くて、ユーモアまであって、いっときの熱に浮かされている自覚のあった私ですら、これはあまりにも出来すぎてやしないか?と一旦冷静になるほどでした。

 

 

てか声までかっこいいな…

うーん、全部かっこいいな!

 

 

あっコレ……まずいな………

 

 

私、ありくくんのオタクだ…………!

 

 

やたら長い導入、大変失礼申し上げました

 

当方は中学・高校と踊ってみた動画を見て育ってきた人間です。好きな曲かハマった動画、なりたい女性像であったかっこいい踊り手さんなど、見ている動画にかなり偏りがありつつも、ずっとこの界隈周辺をフラフラしていました。

 踊り手さんではありませんが、推しと呼べるほど熱中できる存在と出会ってから大体3年ほど経っていて、もうそこを死に場所と決めていたのでまさか、踊り手の、しかも年下の男の子にこんな夢中になるとは思っていなかったというのが本音です。

 

 前述の通り、ありくくんという人はとてもできた人です。MCやツイキャス、ツイートの内容の端々から感じる育ちの良さと他人との距離の置き方、1対1で話すときの物腰など、これらは踊り手さんの技術とはぶっちゃけ関係ない話ですが、人としての好印象レベルがカンストしていました。これほどまでに自分がありくくんに惹き付けられた理由はここにあります。ありくくんが考えていることを知りたい、彼の目には世界がどんな風に映っているのか、どんな風に生きてきたらこんなに美しい言葉を話せるようになるのだろう。

 

踊り方が好きな人はこれまで何人もいました。

踊ることに対する静かな情熱と、人としての魅力、それがありくくんのステージから伝わってくるんです。

 

 美しい人が作り出す美しい時間。

 動画を投稿することだけが[踊り手]に定義されるならば、直接合わずとも彼らの活動を支持することはできるでしょう。実際、田舎で暮らしていた中学高校時代の私は、当時見ていた動画の人たちのステージを直接見に行こうとしていなかったのですから。

 目の前で起きた ありくくん という1人の人の一瞬に焦がれてしまった私は、ステージで起きる出来事に夢中になりました。動画だってもちろん素敵です。当たり前です。ありくくんが生み出した最高の瞬間が半永久的にそこにあり続ける、最高のコンテンツです。けれどそれ以上に、彼の目に映る景色、鳴らされる靴音、全身に響いてくる電子音、ありくくんが生きている今この瞬間を感じられるステージのことが、大好きになりました。

 

 踊り手であり続けることの難しさ、自分のような素人でも容易にわかることですが、ありくくんが踊ってみたの世界をずっと好きでいてくれること、ここを居場所としてくれる時間がどうか長く続くといいなと願っています。

 以前、自分にとっての青春であったある動画の話をしました。ありくくんも同時期にオタクとしてそれを見ていて、今そのとき見ていた憧れの景色の中にいることを笑顔で語ってくれた時に、もっとたくさん、ありくくんの夢が叶う瞬間に立ち会いたいと思いました。

好きなものを信じて突き進んでほしい、私がありくくんに望んでいるのは、好きな音楽で自分を表現して、たくさん好きなものに囲まれて幸せに生きてくれることです。自分の人生が誇らしいと感じる瞬間が少しでも長く、多くあるといい。

 

聖誕祭で聞いた夢の話、その夢が叶う瞬間も絶対見届けたいんです。

 

私は踊ってみたというジャンルが好きです。

過去の自分を救ってくれた、大切な思い出がたくさんあります。巡り巡って出会えたありくくんが見せてくれる景色は、過去の自分の大切な思い出と、新しくありくくんが彩ってくれる忘れられない時間です。これから先の未来も素敵な時間を重ねていけると、信じています。

 

あなたと出会えたことは本当に奇跡で

私にとっての希望です。

 

話がかなりそれてしまいましたが、

改めて 20歳のお誕生日おめでとう。

 

未来のミライも、ずっとずっと もっとどこまでも

ありくくんの進む道が希望で溢れていますように。

 

次の朝は続くから

推しが地元に来ました。

 

 私の地元は長野県。大学生になるまで18年間住んでいた。親戚一同県内に住んでるから出たことなんてほとんどなかったけど、一人暮らしがしたくて長野を飛び出た。都会のように心躍るものは何も無いかわりに、生活するには申し分ない地元だった。誇れるような物は特にないけど、18年という時間を過ごしたから多少の愛着はある。

 

 パンダドラゴンの47都道府県ツアーが決定した時、大きな歓声が上がる中で、じゃあ長野にも来るのか〜と漠然と思った。全国各地を回るツアー、その発表より前から社内でやっていた地方ライブハウスのイベント(僻地)に参加していたからか、エッ長野でやったところで人来るの?大丈夫?などと大変失礼なことを考えていた。だってSuica使えないような山だらけの土地だし。あんまりにも人の来ない地元公演はやだなぁなどと考えていた。

 

(そこそこ)順調に47ツアーは進んでいき、気付いたら地元公演が週末に迫っていた。久しぶりに帰る地元。東京からは新幹線で2時間かからないし片道1万円を切るから帰ろうと思えばすぐ帰れるけど、滅多に帰っていなかった。そんな私を実家に連れてきた地元公演。新幹線の窓から見える景色が見慣れたもの近付くに連れて、月日を消化していただけのこの街が輝いて見えた。地元ってこんなにキラキラしていたっけ?推しの輝きは、雲に手が届きそうなほどの山だらけの田舎にも降り注ぐ。いとをかし。

 

「長野なんて人来るの?」などと大変失礼な心配をしていたがチケットはなんと完売。余裕があれば妹をライブに呼ぼうと思っていたのでちょっと残念だったけど、そこまで小さくないはずのライブハウスで埋まるのは誇らしいなぁとすし詰め状態の会場で思った。まあ、もっと間隔あけさせてくれとも思ったよね。

 

 メンバーの口から「長野」という言葉が出る度に心が踊った。きっと彼らの口から長野って言葉が出るのは今日っきりで、この先しばらくないだろうと思ったから、どんな地元ネタにも対応してやるぞい!という気持ちでいた。メンバーの言う「長野県のみなさ〜ん!」に内心、おーーーれだ!!おれだおれだーっ!!!と思っていたがこっそり手を挙げた。てか手挙がらんわ狭くて。(運営批判すな)

 それでもこのやり取りが嬉しくて。生まれ育ったこの場所が、今日だけは主役。私は大好きなアイドルが立つ舞台ならどんな場所でもできる限り行きたいと願っているし、じっと待っていられないのでこっちから向かわせてもらいますね〜!というマインドだからいつも開催場所なんて二の次ですが 、今日は地元。地元が主役。誕生日とかそのくらいじゃないかなあこんなに心躍るのって。

 

自分のことでは泣かない自信があったけれど、2部のラストで  これで長野公演も終わりか  と思ったら涙が溢れてしまった。この公演が終わっても次の開催地でまた会えるっていうのは分かっていたけれど、なぜだか涙が止まらなくて、このまま終わってほしくないと願ってしまった。

曲の入り、ちょうど私のいた位置から真っ直ぐ3mくらい先の推しが、こちらを見ている気がした。

何度かライブに通っていて目が合う瞬間というのはそこそこ体験させてもらっているけれど、今まで交わした会話、ステージに立った彼の笑顔、色んなことをこの瞬間に思い出した。今ここに私がいること、大好きな推しができてまたこうして地元に帰ってきたこと、全部、全部が、奇跡だった。

 

『交わした笑顔が誘う奇跡を』

 

ずっと信じてきた。

 

大好きなあなたと、このグループのことを。あなたの居る場所が私の居場所だった。そんな大好きな人たちが私の過ごした土地に来てくれたこと、今まで重ねた思いの分だけ幸せに感じられるんだ。何度でも言うけれど、本当にあなたを好きでいて良かった。地元のことめちゃくちゃ大好き!って思っていなかったけれど、あなたが来てくれたこの土地を特別に思えるくらいには、魔法がかかったように、全てが愛おしくて輝いていた。

 

 吸い込まれそうなほど大きくてキラキラ輝く瞳に、このまま呑まれて消えたいと願うほどに焦がれてしまう。この瞬間が永遠なら、そんなふうに幾度も思った。ここを締めくくりにしたら最高に幸せなまま自分は終えられると本気で思った。

 推しと話すまでは。

 

「来てくれてありがとう」という言葉を口にした途端に涙が溢れた。私がDDのオタクになって初めて、推しグループが長野県に来てくれた。決して長くない時間だけれど、あなたの全てを見てきた訳じゃないけれど……今日という日は、たいがちゃんと出会ってからの幸せな時間の延長にあって、きっと、この先はもっともっと素敵な景色が広がっている。

だからこんな所で終わってなんていられないし、もっとずっとたいがちゃんのことを応援したい。また「来てくれてありがとう!」と言える日まで。

たくさんの幸せをありがとう。今までもこれからも、大好きなあなたがくれた幸せを抱きしめて、ずっと先の未来まで生きていける。私が進める理由であり続けてくれてありがとう。

 

次の朝は続くから

 

大好きな人の、大好きなステージを見るために。

2022.9.30

君を好きな、私が好きだ

 

満開になった近所の桜を見て、あぁ、パンダドラゴンが“7人”じゃなくなった日から1年が経とうとしているんだな、なんて考えた。


あの頃の自分といえば、どうしたら良いか分からない気持ちを押し殺しながら、週末のライブに通い、その度に帰り道で1人泣いていた。

卒業ライブ当日にはよく知った友人が私を同情して着いてきてくれた。

本当に良いライブだった。悲しかったけど。

 


正直その後の方が地獄だった。

この1年間のこと。

 


ファンが増えた。悲しみを塗りつぶすように幸せな時間もたくさん増えた。どんどん大きくなっていくパンダドラゴンを見ながら、私はずっと、自分を呪っていた。

どうして心から「幸せだ」と思えないんだろう。

 


私の推しのたいがちゃんは、ステージであんなにキラキラ輝いている。ピューロランドでライブがしたいという夢も叶えた。みんなのおかげ、本当にありがとうと弾けるような笑顔で語った。

 


間違いなく、この1年は水推しにとってとことん幸せな1年だった。聖誕祭なんてFC先行で落ちたくらいだ。彼を愛する人がこんなにもたくさんいるんだと実感した。

 


遠のいていく、心も距離も。

 


元々べつに、近いから好きだったわけじゃない。

それはそうだけど。

 


幸せな場面で どうしてここに祐矢さんはいないんだろう と、もういない人の姿を探した。幾度となく。

それを言う権利は私には無いから、余計に閉じこもった。青推しが1番辛いんだから。彼がいないことを嘆くのは、彼だけを見つめてきた人がするべきだと口を噤んだ。

 


成長していくパンダドラゴンと自分という人間を愚かにも比べたりした。

やりたいことなんて無いのに就活して、私は一体どこへ行き着くんだろうとモヤモヤした。人間関係も上手くいかないことが多かった。ずっと何かに文句を言っていた。

 


それでも来月のライブのために予定を開け、髪を染め直し、服も出来れば前回と違うもので…そうやって、持て余した思考と時間を埋めるように毎日生活した。「ライブが待ち遠しくて毎日うずうずしてる!」という幸せな感情は、いつの間にか自分から離れてしまった。ただただ、その日が来るまで事務的に毎日をこなしていた。

 

 

 

そんなだから、自分って本当にたいがちゃんのこと好きなのか!?と思ってTwitterのアカウントから全てログアウトし通知も全部切った。

 


案の定3日と持たなかった。

なんなら2日目にはニコニコでガオたいがの踊ってみたとか遡っていた。

 


大好きじゃねーか

 


そう、私アホみたくたいがちゃんのこと大好きなんですよ。アホみたく大好きなのに、性格が捻くれてて、悲しいことがあるとすぐそっちにばかり目が行ってしまう。過去とか他人とか、比べてばかりでそのたびに自分自身を見失って勝手に傷付いた。たいがちゃんのことが眩しくてたまらなくて、その明るさに照らされている傍らで、目を背けたりした。

 


幸せ100%でオタクができたらどんなに良いだろう。グズグズ薄暗い感情を抱えながら必死ですがって、みっともない人生だなと思った。


かけた時間、かけたお金、別に多くはないけど、大学生の自分にとってはかなり代償の大きいものだった。オタクは辞めたいけど引き下がれないところまで来てしまっていた。

そんなことを考えながら、命を削ってキラキラ輝くアイドルたちに見せるツラじゃないな、心からライブを楽しんで、パンダドラゴンのことが大好きな他のオタクを見てると余計に、ネガティブ野郎が紛れ込んですんません…と申し訳なくなったしその人たちが羨ましかった。

 


もぞもぞオタクを続けているうちに、オタクをしていて、幸せなだけじゃないことを素敵に綴る人と出会った。

 


それは人生での辛いことを含めて、今まで薄暗いところでうずくまっていた私に、それを言葉にして消化する力をくれる人だった。

その人の立場や普段から感じていることは全く自分と同じではないけど、辛いことに押しつぶされて幸せが見えなくなっていく中で、大好きな人に照らされて、性懲りも無く大好きだと語る人間はいても良いのかもしれないと思えた。

 


それまで閉じこもっていたから気付かなかったけれど、意外とそういう人は身近にもいて。

 


その人たちの推しは、私にとってのたいがちゃんと全く同じだった。薄暗いところにいる自分を幸せな方に導いてくれる。

 


優しくてかわいくて、推しのことが大好きな大切な人たち。

 


みんなが「生きたい」と願う理由が彼女たちの推しなら、私は彼女たちの推しに何度お礼を言っても足りないくらいだ。私を救ってくれた彼女たちを救う、あなたがいてくれて本当に良かった。

 


辛い と 苦しい の反対側が 楽しい と 幸せ なんじゃなくて、隣同士だからどっちにも転がれるんだ。

 


それなら、私はいつでも幸せになれる。

 


今はこうして言葉にできるほどの元気があるけれど、明日か明後日か明明後日にはまたグチグチ言ってるかもしれない。富士急もびっくりの感情ジェットコースター人間なので。

 


この薄暗くて眩しくて幸せで苦しい感情が残っているうちに書き留めておこう、と思ったのが今回のブログの動機です。

 


明日のことが楽しみで仕方ないとまた思えるようになった自分に感動しながら、飛行機の中で綴っている。

 


どんな景色が見れるだろう、去年はずっと滲んでいた。明日はちゃんと泣かずに最後まで見れるだろうか。

 


世界で1番大嫌いな日がまた回ってくる。

自分は少し成長できたんじゃないかなとか、変わらずに傍にいてくれる人がまだいることとか、驚くほどにポジティブな感情が浮かんでくる。

今までの人生で1番幸せな誕生日に。明日は。

 


私が生まれてきた理由なんて無いし、あなたに出会うためでも無いけど

私が今日もここにいる理由は、紛れもなく、あなたのことが大好きだから。

 

君を好きな私が好きだ。